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大阪高等裁判所 昭和61年(う)906号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

一控訴趣意中事実誤認の論旨について

論旨は、要するに、原判決は、被告人が被害者Aからナイフによる喧嘩闘争を挑まれて立腹の末、未必の殺意をもつて、同人の左前胸部付近を右ナイフで一回突き刺すなどして同人を殺害した旨の事実を認定の上被告人を殺人罪に問擬したが、1被告人は、右ナイフで被害者を攻撃した当時未必的にもせよ同人に対する殺意を有していなかつたし、2被告人は、喧嘩に熟達した様子の被害者とナイフを持つて対峙するうち、足もとの小枝を払つて足場を固めた同人の態度から同人のナイフによる攻撃が切迫したものと予想し、右攻撃から自己の生命を守るためやむを得ず先制攻撃を加えたものであつて、被告人の右判断を軽率であるということはできないから、本件については、正当防衛ないし少なくとも誤想防衛が成立する、というのである。

そこで、記録を精査し、かつ、当審における事実取調べの結果を併せ検討の上、次のとおり判断する。

1  殺意の存否について

まず、原判決挙示の証拠によれば、本件犯行に至る経緯及び犯行の態様は、被告人がナイフにより被害者を刺した際の体勢及び右兇器の用法の点を除き、原判決が「犯行に至る経緯」、「罪となるべき事実」及び「殺意認定についての補足説明」の項において詳細に認定・判示しているとおりであると認められ、所論も、右指摘の点を別とすれば、原認定の客観的事実関係自体を争うものではない。

ところで、所論は、被告人が、原判示折りたたみナイフで被害者の顔めがけて切りつけた直後同人の前胸部を右ナイフで突き刺した状況につき、被告人は、右から左へ水平に払つて被害者の左頬を傷つけたナイフをそのまま突き出して刺したに過ぎず、原判決が認定するように、ナイフを腰の辺りに構えて前に踏み込み、体当りして刺したものではない旨主張するので、まず、この点について判断するのに、原判決書によれば、原判決は、被告人がナイフを腰の辺りに構えて前に踏み込み、「体当りするような格好で」被害者の前胸部付近を右ナイフで突き刺したと判示しており、所論のように、端的に「体当りした」と認定しているものではないから、この点の所論は、その前提においていささか正確でないといわなければならないが、それはともかく、被告人のナイフによる攻撃状況に関する原認定と所論の主張との間には、その直前に被告人がナイフを腰の辺りに構えた事実や体当りのような格好になつた事実の有無等に関し微妙なちがいがあるので、以下、証拠を仔細に検討してみることとする。ところで、所論も認めるとおり、本件犯行を近距離から目撃したB及びCの各検察官調書中には、被告人が、ナイフを腰の辺りに構え、被害者に体当りを加えた旨の明確な記載があり、この点に関する被告人の原審公判廷における弁解が、必ずしも明確なものではなかつたことなどからすれば、原判決の前記認定は、一応これを首肯し得るようにも思われるが、他方、原審記録及び当審における事実取調べの結果によれば、被告人は、捜査段階において、ほぼ一貫して、前方にやや踏み込みながらナイフを前に突き出した事実を認めつつも、ナイフを腰に構えたり、体当りするような格好になつた事実を否定する趣旨の供述をしているものであるところ、Bらと同様犯行を近距離から目撃したD及びEの各検察官調書中には、Bらが目撃したという体当りの事実が記載されていないこと、被害者の左前胸部の刺創は、創角の右端が鋭利でほぼ水平なものであつて、原認定のようなナイフの用法によつては生じ難いと考えられるが、被告人が当審公判廷で供述するように順手に握つて右から左へ振つたナイフを、返す刀でそのまま前へ水平に突き出したというのであれば、右刺創の生成過程を合理的に説明し得ること、更には、いずれにしても一瞬のことであり、被告人の当審供述のような状況であつても、Bらが、自己の見ていた位置からは、これを体当りと見誤つたり、そのように表現することもあり得ないことではないことなどの諸点に照らすと、右刺突状況に関する所論と同旨の被告人の当審供述は、にわかにこれを排斥し難いものといわなければならず、ナイフの用法につきこれと異なる認定をした原判決は、この点に関する限り事実を誤認したものといわなければならない。

しかしながら、原判決も詳細に説示するように、本件ナイフが、刃体の長さ約一〇・二センチメートルの堅牢な造りの折りたたみナイフ(刃体の固定装置付)であつて、容易に人を殺傷し得るものであることは一見して明らかであるところ、被告人の右供述によつても、被告人が、至近距離の被害者に対し相当強い力で右ナイフを左前胸部に向けて突き出したこと自体に変りはなく(なお、被告人自身も、その際手加減をしていない事実を認めて争わない。)、以上の点に加え、原認定のような本件犯行に至る経緯、犯行の動機、創傷の部位・程度等のほか、被告人が、右犯行の直後、重傷を負つて逃げる被害者を、「殺したる。」と怒号しながら相当距離追跡していることなどをも総合して考察すれば、ナイフの用法に関する前記当裁判所の認定を前提としても、右犯行当時被告人において、少なくとも、自己の攻撃により被害者を死亡させることがあつてもやむを得ないという、いわゆる未必の殺意を抱いていた事実は、殺意を自認した被告人の各捜査官調書及び勾留質問調書の各記載を援用するまでもなく、きわめて明らかであると認められるので、原判決の前記事実誤認は、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかなものであるとはいえない。

なお、所論は、①被告人は、本件ナイフの殺傷能力について冷静な判断をする余裕がなかつたとか、②原判決が殺意認定の根拠とした被告人の表情の変化の点は、殺意を推認する根拠とならないなどとも主張するが、右①の点は、すでに説示した本件ナイフの性状自体に照らし容易に首肯し難く、②の点は、被告人の表情の変化を援用するまでもなく、被告人の殺意を肯認し得ること前説示のとおりであるから、これらの点についてはこれ以上詳説するまでもない。

以上のとおりであるから論旨1は、結局理由なきことに帰着する。

2  正当防衛ないし誤想防衛の成否について

原審においては、本件について正当防衛も誤想防衛も主張されておらず、この点の所論については刑事訴訟法三八二条、同条の二との関係において問題があるが、本件は決闘殺人の罪名で起訴され、審理の結果、原判決はこれを殺人と認定した経緯に照らし、当審において、右所論について次のとおり判断することとする。本件において、被害者Aの挑発がきわめて執ようであつたこと、被告人は、同人より年長であることもあつて、当初から徹底的に下手に出、何とかナイフによる喧嘩闘争を回避しようと努力したが、ついには、同人の喧嘩慣れした言動に立腹して、ナイフを持つて至近距離で対峙する同人に先制攻撃を加えたものであること、しかし、他方、被告人は、被害者の右言動に畏怖していたこともあつて、先制攻撃を加える段階では、右攻撃に出るのでなければ自己の生命が危いという認識を有しており、右被告人の認識は、当時の客観的状況に照らし、誤りであるとはいえないことなどの点は、証拠上おおむね所論の指摘するとおりであると認められ、これらの点のみからすると、所論にも一理あるように考えられないでもない。

しかしながら、他方、証拠によれば、原判示深江南住宅一階ロビーにおいてナイフを所持した被告人と対峙するまでの被害者の言動が、あくまで被告人を喧嘩に応じさせようとするものであつたことも明らかなところであつて、同人は、直ちに無抵抗の被告人の生命を一方的に奪おうとしたりその身体に重大な危害を加えようとしたわけではないのであるから、被告人が、対決する意思のないことを明確にし、断固としてその場を立ち去るという態度を示せば、たとえ同人に嘲弄・罵倒される程度のことはあつても、生命・身体に対する一方的な攻撃を加えられる危険があつたとまでは考えられず、そのこと自体は、被告人自身もこれを認識していたものである(被告人も、当審公判廷において、逃げようと思えば逃げることができたことを認めている。)。もつとも、被告人は、その場をいつたん逃れても、後刻自宅へ押しかけて来られることは必定であつたから、ナイフを持つての闘争に応ずるのもやむを得なかつたとの趣旨に帰着する供述をしているが、もし後刻自宅へ押しかけられることがあるとしても、その際に臨機適切な対応をして大事に至らせないことが不可能であつたとは考えられない。しかも、相手は自分よりはるかに小柄な中学三年生であるから、被告人としては、一時の屈辱に甘んじてもひとまずその場を逃れるという手段を取るべきであつたということができる。従つてそれにもかかわらず、被告人はあえて右屈辱を潔しとせずに喧嘩闘争を受けて立つたものである以上、その後の闘争の過程において自己の生命身体を相手の攻撃にさらすことになつたとしても、特段の事情のない限り、右攻撃をもつて刑法三六条にいう「急迫不正ノ侵害」ということはできない。本件においては、互いに対峙して以後は、双方が相手に対する兇器による攻撃の機をうかがいつつ緊迫した態勢で経過し、被告人が一瞬の機会をねらつて攻撃したものであり、本件につき正当防衛の成立する余地はなく、また、前記の事実関係に照らせば、ナイフを所持して対峙の姿勢に入つたのちにおける被告人の認識の如何にかかわりなく、誤想防衛も成立しないことが明らかである。(なお、原判決は、本件のように、闘争の合意形成の過程に特異な事情のある事案においては、最終的に闘争自体が双方の合意によつて行われたとしても、右闘争は、決闘罪ニ関スル件三条所定の「決闘」にあたらないとして、同条の適用を否定した上、本件における被告人の行為につき刑法一九九条を適用しており、この点については疑問がないではないけれども、「急迫不正ノ侵害」の存否に関する前記の結論は、被告人と被害者とのナイフを持つての闘争が「決闘」にあたるか否かによつて左右されないというべきであるし、決闘殺人罪と殺人罪との間には何ら法定刑のちがいがないのであるから、いずれにしても、原判決に、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがあるということにはならない。)正当防衛ないし誤想防衛を認めなかつた原判決に事実誤認は存せず、論旨は、理由がない。

二控訴趣意中量刑不当の論旨について

論旨は、原判決の量刑不当を主張するが、原審記録及び当審における事実取調べの結果に現われた本件犯行の動機、罪質、態様及び結果の重大性等に照らすと、所論指摘の被告人に有利な情状を十分斟酌しても、原判決の量刑(懲役五年)は、まことにやむを得ないものといわなければならない。確かに、本件においては、被害者が被告人の些細な言動にこだわつて執ように被告人を追及した上、所携のナイフを首筋に当てるなどして激しく挑発し、ナイフによる喧嘩闘争に被告人を追い込もうとしたもので、被害者の側に重大な落度があつたことは、所論のとおりであると認められ、右の点は、被告人が刃物を用いての喧嘩闘争を回避するため、相当長時間にわたり、被害者らによる嘲弄に耐え隠忍自重していた事実とともに、量刑上相当程度考慮に容れられるべきものである。しかしながら、被告人も当審公判廷において認めているように、いかにナイフを示して強がりを言つていたとはいえ、被害者は、いまだ思慮分別の定まらないわずか一五歳の中学生であつて、同人より七歳も年上で体格においてもはるかに勝る被告人としては、前示のように、何はともあれ、ひとまずその場を逃れてあとの対策を考えるべきであつたのであり、同人の挑発に乗つて軽率にもナイフによる喧嘩に応じた結果、前途ある少年の貴重な一命を失わせた被告人の刑責は重いといわざるを得ない。また、被告人は、スーパーマーケットの店員として稼働していた当時に惹起した交通人身事故により加古川刑務所で服役し、昭和五九年九月一三日に仮出獄を許されたものであるが、その後勤務した鉄工所を翌年五月に退職したのちは、定職に就くことなく、ミニFM局を開設して中学生を相手に放送したり、右放送を通じて知り合つた中学生らを相手に賭けマージャンをして小使い銭を得るなどしていたものであつて、被告人が、被害者から喧嘩闘争を挑まれたのも、もとはといえば、被告人のかかる生活態度に原因があるのであるから、本件犯行の動機に関しても、一方的に被告人に同情するわけにはいかない。さらに、本件においては、被害者の両親に対し、原審段階で慰藉料一〇〇万円が支払われ、右両親も被告人のため寛刑を嘆願するに至つていること等被告人のため酌むべきいくつかの有利な情状を認めることができるが、原判決の量刑は、これらの情状を十分考慮に容れた上でのものと考えられるのであり、所論のように、これが不当に重すぎるとは認められない。論旨は、理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野間禮二 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)

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